mr-novelist’s diary

文学と音楽の融合

桜井和寿さんと心理学

 今回はmr.childrenの歌詞について、心理学の知見から、その精神性の豊かさについて余すところなく伝えていければと思います。 

 自分はかつて一時期、ユング心理学を研究なさっていた河合隼雄さんという方や、アドラー、またかの「夜と霧」を執筆したフランクルなどの研究内容に関する本を読んでいました。今でも心理学自体に対する興味は衰えてはいないので、たまに河合隼雄さんの著書を読んでいます。

 さて、そんな折にmr.childrenを聞いていて、これらの心理学の知見と、桜井さんの紡ぐ歌詞の考え方や価値観とでは近いものがあると度々感じます。

 よってそのいくつかを紹介していきます。 

 

①It's a wonderful world(アルバム『It's a wonderful world』に収録)

無駄なものなど きっと何一つとしてないさ

突然 訪れる鈍い悲しみであっても

 

 無駄なものなんかないよ。きっとすべてのものに意味がある。

 これは精神科医フランクルさんの考え方に通じるものがあります。塞翁が馬などもそうですね。アウシュビッツでの自身の体験により、人間が人生を問うに先立って、人生から人間は問われているという境地に達したのです。これは一体どういうことでしょうか。

 例えば、遅刻すれすれなのに電車に乗り遅れたとします。その瞬間は最悪ですね。しかし次の電車に沈んだ気持ちで乗り込むと、十年は会えなかった旧友と会えたとします。(ご都合主義ですみません。)

 もう遅刻なんてどうでもよくなりませんか。まあその日は落ち込んだとして、そのうち友達とまた親交を温め直せたら、電車に乗り遅れたのも悪くなかったな、と。そう思えないでしょうか。

 話を戻します。要は、出来事に対して単に嘆くのではなく、自分で出来事に色付けする。出来事に、そして人生に意味を与える。こういうことですね。

 人生はいかなる時にも無意味なものにはならない。それが死別の悲しみであっても。9.11を目の当たりにしたうえでこの歌詞が書ける桜井さんは本当に素敵な方ですね。

 

②旅立ちの歌(アルバム『SUPER MARKET FANTASY』に収録)

今が大好きだって躊躇などしないで言える

そんな風に日々を刻んでいこう

どんな場所にいても

 

 前項で上げた話と被るのですが、この歌詞からも人生に対する態度から、フランクルさんの提唱するそれと似たものが透けて見えます。

 起こる出来事に期待しない、つまり執着することなく、自分軸の幸せの尺度によって出来事の評価をする。

 過大評価でもない過小評価でもなく、等身大の今を受容してポジティブに生きていく。少し話が心理学からはそれた気もしますが、とにかく素敵な価値観ですね。

 

③羊吠える(アルバム『SUPER MARKET FANTASY』に収録)

僕らの現状に取り立てた変化はない

いいこと「49」 やなこと「51」の比率

あまり多くの期待を もう自分によせていない

ときどき褒めてくれる人に出会う それで十分

 

 ふたつよいことさてないことよ

 これは前出の河合隼雄さんの言葉ですね。著書『心の処方箋』にて述べられました。

 すべての物事には、いいことと悪いことの両面がある。そしてそのどちらか一方だけであることなどありません。

 だからこそ、良いと思ったことが起きた時には、悪いことも起こるだろう。それぐらいのスタンスでいるのがちょうどいいのではないかとおっしゃっていました。

 物事って、何事もある程度の値に収束するようにできているように感じます。いいことばかりではないし、かといってやなことばかりでもない。

  だから、この主人公の価値観はこの世の成り行きに抗わない、ごく自然なものといえるのではないでしょうか。

 

④SINGLES(アルバム『重力と呼吸』に収録)

 守るべきものの数だけ 人は弱くなるんなら

 今の僕はあの日より きっと強くなれたろう

 

 この曲は、主人公が付き合っていた女性と、それぞれの幸せをかなえるために別れるという選択肢を取った心情を歌ったもの。自分はそう解釈しています。

 何かを得られる人は、何かを捨てることのできるものである。これはよく言われる文言ですね。河合隼雄さんは、『幸福になるためには断念が必要である。』とおっしゃっています。

 これは仏教において大切にされている諦念観にも通じるものがあります。そして実際河合隼雄さんは仏教においてもかなりの教養があったそうです。

 

 ご覧いただきありがとうございました。今日はこの辺で失礼します。