mr-novelist’s diary

文学と音楽の融合

繊細な宇多田ヒカルさんの曲作り

 ちょうど宇多田ヒカルさんがデビューした頃にこの世に生を受けたからなのか、宇多田ヒカルさんはMr.childrenと並んで大好きなアーティストの一人です。好きになるきっかけや理由って必ずしも言葉で説明できるとは限らないんじゃないかと感じるんです。

 そんな前置きをしておきながら、今日は自分が宇多田ヒカルさんに惹かれている要因である、歌声や歌詞の包容力に関して少し言葉にしてみたいと思います。

 彼女の曲作りからは、いつも聴き手目線を事欠いてないように感じるのです。どういうことかといいますと、聴き手が心地よいと思う音を選び取って紡いでいるように感じます。どうしても聴き手が受動的な媒体である音において、情報量が最低限に絞られているのが、個人的には心地よく感じます。

 歌詞一つ取っても同じです。Goodbye happinessという楽曲にこんなフレーズがあります。

考えすぎたり ヤケ起こしちゃいけない

子供ダマしさ 浮世なんざ

人は独りになった時に

愛の意味に気づくんだ

 孤独の辛さを知りながらも、愛に気づきすべてを受け入れ肯定していく。そんな風に聴き手を誘う優しさを、感じ取ることができます。もちろんその過程を宇多田ヒカルさん本人が経たからこそ紡げる詩なのでしょう。

 ではその優しさとはいったいどこから来るのでしょう。優しさというものの定義は、受けた人がどう感じ取るかによって変化するものなので割愛します。

 個人の見解としては、優しさとは返報性の法則に乗っ取ったものだと感じています。つまり、誰かに優しくされると優しさをまた誰かに与えることができる。宇多田ヒカルさんも、その当たり前のようでなかなかなおざりにされやすいことを、大衆に向けて実践なさっているように思います。彼女においては、母親である藤圭子さんとの関係性が作品に反映されているのかなと勝手に想像しています。また、これらはキリスト教でいうところの無償の愛にもつながるのではないでしょうか。

 コロナ禍で孤独な状況を過ごす方が多い今だからこそ、宇多田ヒカルさんの楽曲はより輝くように感じます。孤独一つ取ってみても、悪いことであるとは限らないように思います。宇多田ヒカルさんの言葉を借りれば、見方を変えれば愛にあふれていた当たり前の日常に気づくことができたのでしょう。

 僕自身も、無償の愛をこのブログの文面から感じ取っていただけるよう精進していきたいと思います。

 

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